【学んだこと】我慢すればそれでいいと諦めていた私が気付いたこと

ライフデザインモンスターゆうこです。

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今回のテーマは「我慢」

我慢という諦めを通してみえてきたことを実体験をもとに紹介します。

我慢という諦め

これまで生きてきて「あの人はいいな~大切にされて」そう思ったことありますか。

私はこれまで様々な場面でこんな経験を繰り返してきました。

そう!私の人生脚本となっていました。

言い返したら「失うかもしれない」という恐怖に負けて

それなら「我慢することでおわるならそれでいい」そう繰り返してきたのです。

しかし、その場はそれで終わりますが、私自身その根本的な原因を解決していないため

「環境」や「人」を変えてその状況はつきまとってくるのです。

逃げても、逃げても…

では、なぜ私は感情を言葉にせず「我慢」という選択をしてしまったのか。

それは、これまでの経験の中で声に出すことで余計に傷つき「話しても状況は変わらない」と諦めたからでした。

「どうせ変わらない」ならこれ以上傷つきたくないというのが本音でした。

しかし、言葉とは「状況を変えるためだけ」のものなのでしょうか。

「共感」という大事な役割も担っているのです。

しかし、「感情は我慢するもの」という観念が染みついていた私は言葉に「共感」という役割があることが出てきませんでした。

ようするに、無意識のうちに「私はこんなに我慢してるのに」と人にも要求していたのです。

我慢することでのメリット

私が長い間付き合い続けてきた「我慢」これになんのメリットがあるのでしょう。

我慢をして解決できたことはあるのでしょうか。

先述したように、我慢で終わらせた環境はその時一瞬は解放されてもまた手を変え品を変え自分に同じ状況がふりかかる。

結局思いは苦しいままで、時に我慢が溢れ出たことがきっかけとなり体調が悪くなる。

また、本音で人と向き合えないため親密な人間関係を築くことの障害ともなりました。

ようするに「我慢」にメリットは1つもないことにこの時初めて気づいたのです。

一方で、思いを伝えて好転したことはあったか。

私はビジネスにおいてはある程度人に思いを伝えることができる方だと思っています。

それにより、よりよい改善策を見出すことができたり、新しいことを始められるきっかけとなったこともあります。

また、高校生の時この人に私は嫌われているなと感じた経験がありました。

卒業後ひょんなきっかけで関わる機会があった時

「あの時私はあなたのことが羨ましいと思っていて、避けてしまっていた」と告白された経験があります。

その方とは今でも仲の良い友人関係を築けています。

このように思いを伝えることによりものごとが好転することはあっても我慢をしてよいことは1つもなかったということに気付いたのです。

そしてもう一つ

「どうせ私は…」と思っていた私を羨ましいと思っている人もいる

“隣の芝は青く見える”誰かのことを羨ましいと思っている誰かもあなたを羨ましいと思っていることはよくあることなのです。

共感するということ

共感力が欠如していると他人との健全な関係性を維持することに大きな障壁が生まれる恐れがあります。

それは「自己」と「他者」は、互いに大きな影響力を持ち合い補完し合っているのが現実だからです。

他人を理解する能力が不足している方の多くは、自分自身を理解できていなことが多いのが現状です。

私自身は「我慢」という経験を通して無意識にあなたまも我慢すべきということを要求していた。

自分を分かってもらいたいけど伝えることを「我慢」してしまうことでどこまでこの人は許してくれるか試してしまう傾向があった。

これらは自己に対する共感が不足しているサインです。

共感力も理解力と同様に自分を受け入れられる量と相手を受け入れられる量は比例するため、

まずは自己を共感するということが必要になります。

そしてそれは無意識に行い、気付かず見過ごされていることもあります。

次の例を通して心がチクっとした方は、自分を共感できているか、受容できているか振り返ることから始めてみましょう。

■自分自身を例としてしまう

その姿が露わになる例として「アドバイスする場面」です。

あなたが、問題を抱える相手から相談を受けたとき、自分自身の過去の経験や体験に照らし合わせ自身が解決した時の話をしたことはありませんか。

あるいは、何かができなくて困っている相手に対して、自分自身が同じような状況に遭遇した時におこなった対処法を伝えたことはありませんか。

これらは共感力が欠如しているということを示すサインといえます。

本当の意味での「共感力」とは、状況に対して自分の視点からではなく相手の立場から見つめる力を意味するのです。

■気配りの不足

我慢することはよくないと説明しましたが、世の中には「正直でいる自分」「考えたことを思いのまま口にする」自分を誇りに思っている人もいまう。

しかし、そこには相手に対して失礼はないか、シンプルに思いやりは必要になることを忘れてはいけません。

自分が発信する言葉が相手に不快な思いを押し付ける手段となっていないか気配りが必要です。

■特性や資質を一般化する

他人の特性や資質を一般化し、過度に単純化する傾向は、人を見極める能力が低いことを指し示しています。物体に関しては全く同じ特徴や機能が備わっている場合はあるかもしれませんが、人は誰一人として全く同じ人は存在しません。

共感を示すためには、心を開いて相手の置かれた現実を理解しようとしなければなりません。

共感力も理解力と同様に自分を受け入れられる量と相手を受け入れられる量は比例するからです。

自分を受け入れることで自分自身が緩みだし、気持ちを言語化することを許せる自分へと変化していくのではないでしょうか。

人生において繰り返される出来事や、嫌な人が繰り返し目の前に現れるというのは

あなたの内面が現実を通してそれをあなたに教えてくれているサインです。

そしてそれはこれまでの人生の環境から知らず知らずのうちにあなたに刷り込まれた思いが原因の可能性であることもあります。

あなたの現実は何を投影しているのかを探し、脳内のイメージを書き換えることで現実が変わることもあります。

今回は「我慢」というテーマを通して紹介してきましたが、このようにあなたの中にある思いを書き換えて、なりたい自分を叶えていきませんか。

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