【実体験から学んだこと】幸せの基準はいつも自分が決める

ライフデザインモンスターゆうこです。

私は、キャリアアップを目指したい!子育てしながらでも自分の人生を諦めたくない!

そんな女性を応援しています。

あなたは周りと比べて落ち込んだり、羨ましくなったことはありませんか。

今回は「幸せの基準」についてご紹介します。

自分の中での幸せの基準

私は過去、弟が大好きな母を見て私はどうせ大切にされないという思い込みを持ちました。

例えばクラスで1番の成績を納めてもさらによい点を取ってくる弟

そうすると家族のなかでは「できない」とレッテルを貼られてしまう。

「なんで兄弟なのにこう違うのか」と言われるたび私は落ち込んだ。

だけど、社会人になったある時高校時代の友達が私にこう言ったのだ。

「私はずっと羨ましかった」

劣等感まみれだった私はこの子からみたら「羨ましい」と思われていた存在でもあったのだ。

それから時は流れ大人になった。

職場ではいくつかのチームがあり、私はそこを取りまとめる立場となった。

上司は、他のチームには顔を出し、事前打合せ、事後報告会がある一方、私がまとめるチームには顔を出さなければ打合せなんて一度もなかった。

仕事に対しても同じだった。

「なんであの人は」と不満が募る私に、チームの人が言った。

「なんでそんな気になるんだ!来ないほうが自由でいいだろう」と。

ある人はこう言った。

「任せられるようになったんだよ」と。

私は「はっ!」とした。

私は幼少期からの積み重ねで

構われること=大切にされている

構われない=どうでもいい

という価値基準を持っていたことに気づいた。

たいせつなことは「主体性」

世の中には、名家に生まれ仕事も家も豪華な結婚式も用意されてる人もいる。

お金持ちを羨んだことが多少なりともある人もいるのではないか。

一方、その人たちは「家の名」や「親の功績」を背負っていきている。

私はそれを経験したことはないが重圧があるだろう。

また、人は「自ら積み上げたものでなければ、簡単に手放す」

親のサポートを受けて事業を始め、豪華な結婚式をあげたとしてもその先成功するかは分からない。

こうなると、自らの力で事業を始め、結婚にたどり着いた人よりも這い上がることが難しいと言われている。

なぜならそれは「主体的」に始めていないから。

私たちはつい「ある」ものに目がいきがちである。

しかし「ない」ことを不満に思う必要はないのです。むしろ幸せなことではないでしょうか。

なぜなら「ない」ということで、試練に耐える心の筋肉を育んでくれるのですから。

さぁ!あなたはかこれから自分の人生どんな選択をしていきますか。

人生のデザインを楽しんでいきましょう!

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